これはちょっと・・・

入試問題の当日漏洩についてなのですが・・・。


ネット投稿「入試の根幹揺るがす犯罪」京大副学長ら会見


私はいわゆる落ちこぼれの人なので、入学試験には苦労した体験があります。下手をすると何度受けても受からないのでは・・・という不安に駆られながらも、明るい光を見つけるため、日々努力をするわけです。


しかし、ここ最近の急激なインターネット技術の発達により、パソコンがなくても接続する手段が多様にあふれた結果・・・どうやら、使い方を見失ってしまっている人たちも、出てきてしまったみたいですね。


私はどちらかというと、物心つくまではインターネットはしなくてもいいのでは、と思ったりもしますけど、それでも今はこのような時代になってきていますから、隔離することがメリットになるとも限らないでしょう。そうなると、いわゆる情操教育の部分からてこ入れしていかないとならないのでは、と感じます。


今は家族の絆も薄くなりつつあるといわれていますし、心の教養というものは必要不可欠のように感じます。とあるゲームではないですけど、「この世に悪があるとすれば、それは人の心だ」・・・と。情報端末も使い手次第。


いくら機械やシステム、ネットワークに情報規制の仕組みを入れたとしても、使い手の心が彷徨っている限り、それは正しい結果を導き出せないように感じます。これからの時代は、そのあたりもみんなで考えていく必要があるのではないでしょうか。受験生がんばれ!って応援したい気持ちも、このような話題が出ると寂しくなりますね。


私は挫折しかけたときに「できないって思った事は、どんな簡単な事でも絶対にできないのよ」という、とある漫画の台詞をいつも思い浮かべます。あの台詞には結構勇気づけられました。そこからつながるのが「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という名台詞も。2つとも、聞いたことあるのではないでしょうか。そんな漫画に出会えたことも、今の自分がいる一因なのかもしれません。しかしながら今は、インターネットで読む時代になってきていますからね・・・。


心を象る上で大切なのは、物心がつくまでにどれだけ心の栄養となるような、印象づけられる出来事に出会えるか、なのかもしれません。そればかりは、自分たちで見つけ出すほかないと感じます。そのような環境作りができるよう、社会全体で取り組んでいかないと、ですね。


2011年02月28日 22:51 | 投稿者:lavendy

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