
起きてみると
PSOからのお友達さんからメールが届いていたのですが・・・。
阪神大震災14年 1.17追悼の朝
49基のかまくらに灯、尼崎で犠牲者悼む 阪神大震災
なるほど。このことだったのですね。私は直接現場にいたわけではないのであれこれいうことはできませんが、湾岸戦争の時と同じく、学校のテレビで様子を見守る格好となりました。
祖母は生前、尼崎市に住んでいたものですから被災地の中心近くにいたことになります。両親は心配しきりでしたが、お昼手前あたりに無事の電話を聞けてほっと一安心といったところ。それでも実際に現地の状況がうかがい知れないだけに、その後の復旧に向けた動きはどうなるのだろう、といった先の見通しがたれられない点について懸念していました。
時間がたつにつれて明らかになる被害状況。想像以上の惨事に皆さん言葉を失ってしまったことはまだまだ記憶に新しいのではないでしょうか。祖母の家は檜造りだったのですが、昔ながらの堅実な構造だったみたいで父が後日訪れた際、祖母の家だけがしっかりと残っていた以外はかなり壊滅していたみたいです・・・。
あれから14年。月日がたっていますけど、日本国内でもいろいろな規模の自然災害は日々起きています。常に防災に対する意識を持ち続けることが、大被害を食い止める唯一の方法になりますしね。冬場は空気が乾燥しやすく火災の起きやすい季節になりますので、まずはそのあたりに注意を払いたいものです。
[ 雑記 ]
2009年1月17日 08:19 | 投稿者:Lavendy
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