
ハロウィーンの日に
ユニバース・・・!といいたいところですが、こんな記事が・・・。
大手の朝日新聞社サイトで載せられるくらいですから、結構な話題になったのでしょうか。私にとってもふむぅ・・・と思う記事でした。
幼稚園の頃でしたけど、お友達に呼ばれて向かった先にあったものは、テレビの中で小さなものがいろんな動きを繰り広げていたこと。それがファミコンというものを知るよしもなかった私は「何だかよくわからないけど楽しそう」とだけ感じてました。でも、一番大きかったのはスーパーマリオブラザーズ2とゼルダの伝説。この2作品はどちらとも、ファミコンディスクシステムのものでした。
当時のファミコンに追加して遊ぶ形のソフトだったため、あまり認知度は高くありませんでしたけど、ツインファミコンなるファミコンディスクシステムが利用できるゲーム機を父が買ってくれたので、それで遊ぶことができました。その頃はまだ一家でゲーム、などということは考えられなかったため、すでに持っている方のおうちなりにいって、許可をもらったりとかしてましたっけ(笑)。父が肩にテレビを担いで、空いている手にゲーム機を持って、秋葉原の細い路地を長く歩いて一緒に帰った日のことは今でも鮮明に覚えています。二人とも疲れましたけど、いい思い出ですね。
帰ってからはわざわざ、説明書に書いてあるあらすじを読んでくれたり、と。テレビゲームというもの自体がこれからの遊び、という形で切り開かれていったものかと思うと感慨深いですね。ゼルダではしょっちゅう、ディスクサイドのエラー表示(確か07番でしたっけ・・・)がでていたことを覚えていますね。表面がSIDE Aなのですが、5歳の私ではひっくり返してつっこんでいたみたいで。。。SIDE Bだよ、と父に言われるまでは毎日のように びーびーびー と警報ばかりでした(’’;;
あれからもう20年以上になるんですね。時がたつのは早いものです。今ではこうやって、画面を通り越えて世界を股にかけて遊ぶことができる時代にまでなってしまいましたし、技術革新の恩恵と同時に、当時では想像できないような問題もはらむ、なかなか難しい道具になっちゃったのかな、と感じたりもしています。
トリック・オア・トリート、と尋ねてまわる光景が日本で見られるかは不明ですが、今日は遊びの日なのかな。ちょこっとつなぎたいと思います('-'*)
[ ゲーム沙汰 ]
2007年10月31日 21:15 | 投稿者:Lavendy
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コメント
ちょww
まさか、こんなとこでツインファミコンユーザーと巡りあうとは…
はい、私も最初に買ったコンシューマ機はツインファミコンでした。
任天堂純正と違って、作動音が大きいのが特徴でしたね~^^
最初に遊んだのが「リンクの冒険」だったかと。
一本が高いROMと違って、ディスク1枚あれば、店頭で「500円で新しいゲームに書き換えできる」と言うのが何より魅力的でした。
(…の割りに、ROMより安めなディスクゲームをメインに買ってた気がします)
懐古趣味に見えるかもしれませんが、8ビット機の時代が、自分的に一番ゲームを楽しんでたかなあ、と。
今に比べればグラフィックは粗雑で、内容も単純にして平易かもしれませんが、メーカー側がわざわざやりこみ要素を仕掛けなくても、裏技を探す、ダンジョンマップの作成、攻略パターンの構築等、「ユーザーを能動的に遊ばせる」という点では劣らない作品が多々あった、と思います^^
(ドラゴンバスターにバベルの塔にバトルシティ
は私の中でROMの神。ディスクの神は19(ヌイーゼン)でした)
うーん書き込んでたら無性にレトロゲーやりたくなってきたじゃないですか…
ファミコンエミュでも探しにいくかな~
投稿者:Fraeulein88 | 2007年10月31日 22:34
こんばんはです
なるほどですね~
SFCのチップは数年前に
製造がやめられたと聞きます
通常、パーツ関係は発売から5年間は作ってて
取り置きは10年と、ある部品メーカーさんから聞いた事があります
ファミコンは思い出がいっぱいですよ~
FC後期に発売された『ラグランジュポイント』なんて音楽・グラフィック共に最高でしたもん…
投稿者:March Wind Lay | 2007年11月 1日 00:11
ツインファミコン!!
なかなか通なものをお父さん買ってくれたんですねw
あれでドラクエ3をやるのは至難の業でしたね。。
(セーブ方法がリセット押しながら電源を切る為。)
私の初ファミコンは小学校4年でした。
当時、水泳ができなかった親が私に25メートル泳げたら
ファミコン買ってあげるという条件をなんとかクリアして
記憶がなつかしいですw
最初に買ってもらったソフトは「忍者じゃじゃ丸くん」でした。
当時かなりやりこんだのでこれだけは今やってもけっこういけそうですね。
夜中こっそりうちの親が「ゴルフ」をやっていたのは記憶に懐かしいです♪
ディスクシステムはたぶんうちの実家にいけばうもれているかも。。
投稿者:simone | 2007年11月 1日 14:06
3人さまとも懐かしい思い出があるみたいですね。ってうちら同世代ですか、あはは・・・年がばれちゃいますね(笑)。
そうですね、ファミコンにつなぐタイプのは本体を上に置いていたので、その分上蓋が厚手となって駆動音の低減に一役買っていたのかもしれません。ツインファミコンはややうるさかったですね。今となってはローディングに1分近くかかっているデバイスですが(汗笑)、あの頃はその待つ時間も「次はどんな世界が待っているのかな?」ってわくわくしていましたしね。PS以降の方たちにはわからない感覚なのかも。
まじめに遊んでいたので、裏技などをお友達さんから教えられても「そんなやり方絶対ない!攻略本に書いていないんだもん!」といいきっていた自分が笑えてきますね。それが一番信頼できるお友達だったから尚のこと。その出来事以来は誰よりも真っ先に裏技を探すようになりました(笑)。
カセットを半分ずらしたりしてバグ状態に持ち込んで遊ぶようなスタイルもあったみたいですし、ROMカセット時代って本当に夢がいっぱいあったかなって思っています。親が買い物から帰ってくるときに遊んでいたことがばれないようにACアダプタを冷蔵庫に入れていたこともありましたっけ(^^; 今では考えられないことです。
絵や音がお粗末だった分、ユーザー同士での情報交換や、想像の余地などがあまりにありすぎて、どういう遊びがあるんだろうと楽しみながら遊べていたことが幸せですね。あの頃くらいまででしょう。お正月にカルタやたこ揚げをやるといった習慣があったのは。今では、もうなさそうな感じですしね。お店も普通に開いていますし。。。
補修用部品も、そうですね。確か8年間は最低限保有しなさい、というのが経済産業省のお達しだったと思いますけど、商品によって異なるみたいですし、今回その2機種に適用されたということなのでしょう。そうなるとNECのコアシステムなどはどうなることやら・・・(^^; 持っていないのでさっぱりわかりませんけどね。
そうなんですよ。父はどちらかというと多少値段が高くても高機能・高付加価値があるのならそれにしなさい、という考えがあるものなので。それゆえツインファミコンの発売を何かの本で(おそらく日経関係の本だと思うのですが)つかんでいたのでしょうね。だからゼルダもスーマリ2も発売日に遊んだ人だったりします(笑)。許可を得る親戚のおじさんのおうちは確か神奈川にありましたね・・・。小田急線に乗って、バスに乗って・・・とかなり長い時間かけたことは覚えています。
にはは。水泳はドルフィン・スイミングスクールという氷川台のところに行っていました。今でもあるのかな・・・? なので、私も水は苦手でしたけど、5歳の頃では克服していたみたいで。泳ぐことは嫌いではないですが、もう泳がなくなって10年以上たちますし、今じゃ海にいっても海岸線を歩くだけです(^^;
じゃじゃまるくん・・・! 遊んだことありますけど、そこまでうまくはなかったですね。やりこんだアクションはやっぱりマリオシリーズになります。2、3は特に多かったですね。・・・といった感じで、みんな思い入れのあるソフトが異なるあたり、いい時代だったんだなって思います。今では口コミに踊らされやすいですしね。今のところは、ええ。PSOとPSUになっちゃってます(^^;
投稿者:らべ | 2007年11月 1日 22:30