
これを読むと
う~ん、って思っちゃう・・・。
わたしは、これに悩む子を救ってあげられなかったのだから。
この2年間はまさに、これに費やされたと言っても過言ではないのですが、鬱を通り超えると「超安定=別人」に化けることもあるんだなあって。ただ、いい意味ではなく、悪い意味で。責任放棄というよりも、自己放棄に近いものがありますね。わたしは誠実に対応してきたつもりでも、本人には届いていなかったり。あるいは小さな不満などがあったりしても、ずっとため込みすぎて、いずれは自分が制御不能な領域にまで到達してしまう。その限界を突破してしまうと、人は変わってしまうものなのかな、って。わたしと対極になってしまったというのは悲しいことです。心が、なくなってしまったのだから。
・・・心がない人、というのは一体どういうものなのでしょう? わたしが思うには「自分がそのような立場に立ったとき、相手からどうされたら心地よく思えるのか」を考えられなくなってしまった人だと感じます。言い換えれば思いやりの心がない人。それをこの2年間かけて(もっとにもなりますが)、いろんな方面で実践してきたつもりですし、それが結果的に報われなかったのは残念ですが、その人にとって今後どう見つめ直すのかを見守りたいところです。
人間、反省なくして前途はあり得ないと思います。いくらその人がいろいろ成功しようと、わたしは認めないですね。もちろんわたしも後ろ指を指されないように、日々精進の心がけでがんばっています。がんばるというよりも、心失わないように、調和していくってイメージかな。だからアマゾンさんでもそれだけは忘れないようにしていきたいところです。
「子は親の鏡」とはいったものです、本当に。親がだめだと子もだめなのかな。なんだか愚痴っぽくなっちゃいましたけど、結構切実な問題だったので記してみました。わたしが親になるのであれば、このあたりは徹底したいところですね。お勉強はそこそこでもいいから。頭がいい人より、心が豊かな人の方が実生活では過ごしやすいでしょうしね。もちろん頭いいことを否定するつもりは毛頭ありませんが・・・。
・・・何で休日だのに8時に起きるんでしょう、とほほ。
[ ひとことメモ ]
2007年5月 2日 09:43 | 投稿者:Lavendy
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コメント
やっぱこうなったか…
もし本人さんがこれを見たら頼みがある
怒ってないし少しは支えてあげるから、悩み聞いてあげるからこっちにも顔出して
諦めたらそこで試合終了だよ?
投稿者:ジェノ | 2007年5月 2日 10:49
最後の言葉って何か流行語なんでしょうか。最近よく見かけます。
実際の鬱病患者さんと(という言い方は失礼になりますが、簡素にするため表記させてもらいます)お話をする機会があり、その方は治癒できるのに4年ほどかかったと聞きました。今でもまだ完全ではないのだとか。自分を笑い飛ばせるくらいのゆとりができない限りは、いつも殻に閉じこもったままっておっしゃってましたね。笑い飛ばすとはいうものの、結局内心は臆病なままなので、周りのケアがどうしても必要になります。
わたしにできる限りのことは全部やりましたから、あとは自分で考えてもらうしかないかと。もっとも、考えることもしない=反省ない、のではどうしようにもないですし。思い出にもならないですよ、これでは・・・(遠い目)。
投稿者:らべ | 2007年5月 4日 14:02