
軽はずみ行動は
いけないですよね。
この騒動が見つかってから、ほかの方や著名な方などが相次いで世界遺産に落書きをしたという話題が伝えられていますが、どうしてこういうコトをするのでしょうね。旅の思い出に・・・という気持ちはわからないこともないですけど、歴史的遺産に自分の名前を残すことによって、どういうメリットがあるのか。それをわからないから、記せるのかなって思ったりします。
共通点があるとするなら、「一人で名前を刻むことはしていない」というあたりでしょうか。必ず誰か付き添いの人がいて、やっちゃえ~、みたいな流れになるのかもしれないですね。このような話題は今に限ったことではなく、かなり昔にも行われているみたい。
で、今回はサミットといった世界共通の話題などが出ている中でしたから、より大きくクローズアップされてしまったのでしょう。大聖堂側の寛大なる処置にも器の広さを感じますが、こんな騒ぎを起こす前に人として慎むべきでしょうし。「関係をより深めた」、という相手側の言葉は慈愛に満ちたものだと感じました。
いずれにしましても、旅路の中で残すものは、旅先で出会った人々とのふれあいや、そういった周囲のものものを自分の目に焼き付けて、記憶として残すことではないでしょうか。名前を残すことがよしとは、私には思えないです。むしろ烏滸がましい気分になっちゃいます。
[ 雑記 ]
2008年7月11日 08:40 | 投稿者:Lavendy
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