「軍の強制」、復活へ

それは泊港近辺にある波之上神宮近くの道にあったのですが・・・。


「軍の強制」復活申請へ 教科書執筆者「新証言を追加」


まだ残ってましたなんだか実際の集会は11万人規模ではなくその1/9程度?という指摘もあったみたいですが・・・大切なのは、数の大小よりも、こういう運動が全国に向けて報道されたという事実。それだけ、沖縄の基地問題などがクローズアップされる時代にもなってきたということに大きな意義があると思います。


それで揺れていた教科書の検定問題ですが、どうやら訂正される見通しが立ったみたいですね。一社でもこのような動きをすれば他社も追従するでしょうから、タイムリーな話題として、新たに教科書を手にされる方は「あ、これニュースでみた~」という方も現れるかもしれないですね。昔よりはだいぶ、意見が反映される時代になったのかな、って思っちゃいます。もとい、情報伝達の手段が増えたことが要因なのかも。


拉致問題の件もしかりですが、過去は過去、現在は現在、という考え方も正しいのでしょうけど、過去の土台があって、現在が成り立っているということも忘れずに、肝に銘じて生きていきたいですね。


泊港(とまりこう)近辺の写真は、明日にでも載せてみますね。この写真を見てもわかると思いますが、夏の日差しでした(^^;


2007年10月27日 23:35 | 投稿者:Lavendy

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コメント

真面目な話なので。

一番最初に「11万人」を言い出し、喧伝した主催者、メディアが今更「数は問題でない」と言い出す。
おかしいと思いませんか?

「数が問題でない」のなら、最初から「11万人」という数字にこだわる必要もなく
「沖縄県の一部ではこういう意見があった」
でも十分なはずです。
しかし、彼らが声高に「11万人」を叫び拘った結果、地理的条件、交通網から逆算された当日の輸送量、会場の施設の問題を疑問視。
現地のデータと照らし合わせて人数の矛盾を見つけ出したり、さらに世の中には暇人がいて、現地の航空写真を拡大し、ペンで印をつけながら実際に人数を数えた画像をネットに公開してしまった結果。
主催者とメディアの嘘は、あっという間に世間に広まりました。
嘘に対する世間の評価なんて、言わずもがな。
体裁の悪いTVからはあっという間に記事が消えたようです。

「11万人集まったのだから、国は言うことを聞け!」

と、思想・言論の自由に対し「数の暴力で当たる」という、筋違いも甚だしい愚行は、言論の自由に対するテロにも等しい、と私は考えます。

そもそも歴史とはあくまで事実の積み重ねが記されるべきものであり、たとえそれがどんなに悪辣なものであったとしても
「それが物証に裏づけされた事実である」
ならば、きちんと記され、後世に伝えていかねばなりません。
しかし、もし誰かの都合が悪いからと捻じ曲げられ、改変されてしまったのであれば、しかも捏造が事実だとしたなら尚更、それは必ず修正されなければなりません。

WW2における歴史修正主義者(リビジョニスト)は、よく軍国主義者だの平和の敵だのレッテルを貼られがちですが。
私に言わせれば、偏った視点でしか物を見られず、相手を一方的にラベリングするような偽りの平和主義者こそが、歴史の敵であり世界平和の敵である、と。

あの戦争での沖縄の方々の苦難は、決して忘れてはいけませんし、またきちんと後世に残し、伝えていかねばなりません。
が、戦役に従事された方の体験談、戦没された方への鎮魂、慰霊とぶつぎりにした歴史を混同し、偏った一方的な視点でのみ語ろうとした結果が、今回のお粗末な結果に終わったのだと思います。

長々書いてしまいましたが…
「日本の戦争語りたかったら、ペリー呼んで来いやクソマスゴミがっ!」

ってとこですね^^

投稿者:Fraeulein88 | 2007年10月30日 00:32

フロイさんへ

コメントを読んで思わず絶句しました(汗笑)。いやはや、あまり深い意味で記したつもりがなかったこと、反省しなければなりません。

読ませていただいて、なるほど、なるほど、とウィキペディアも少し引っ張りながらですが、歴史関係を知らずに語ることもよろしくないことは肝に銘じておきますね。

事実をありのままに伝えることこそが重要であり、決してゆがめらることはあってはならない。編纂する人にも 心 があるわけで、一方的な解釈をしがちになったりもして、歴史を改ざんすることにもつながるおそれがあることは、常にこの分野に身を置くものは認識しておかないとならないですね。

私が言いたかったことは、沖縄で暮らしたことのない人が軍用基地のすさまじさを知るべくもなく、単なる観光地としてしか認知されないことに一石を投じた話題になったのかな、と感じたもので、おごがましいようでしたけど記させていただきました。もちろん、フロイさんが記されていますとおり、結果はお粗末といわざるを得ませんでした。それこそ最初から正しい数値を報道しておけば、ここまで尻すぼみになることもなかったと思いますけど。マスコミの最近の悪しき慣習?なのでしょうが、「祭り上げるだけ祭り上げて、伴わなかったら袋だたき」というのだけはどうにかしてもらいたいですね・・・。

ただ、それも歴史という重要なテーマにおいて、教科書内容の修正をかけるという行為が発端となっていますし、内容を詳しく知らない人(表面のみ)からみたら、沖縄軽視の動きと思われても致し方ないと感じます。なぜ、今更変更を加えるのか・・・地元の人には疑問にしか思わないものですから。反発が起きたということは、編纂する人たちの「情報収集不足」が露呈した形にもなりますしね。今までの歴史をゆがめかねない、と。そして、それは今でも続いているということを。

少なくとも、総てを把握しなければ語るべからず、というような世の中だけにはなってほしくないかな、と思いますので、私は応援したくなっちゃったかな。もちろん、精確な資料分析や地元の体験談など、考慮すべき要素は多岐にわたりますけど・・・「混同させない」ことほど重要なものはありませんよね、はい。永遠のテーマのように感じます。

真摯なご意見、ありがとうございました。最後の「ペリーを呼ぶ」という一語はただただ納得です(^^; 彼も来航時には琉球王朝を軸に動いていたみたいですしね。

ホグさんもおっしゃってましたが、「フロイは切れ者で頭がいいからのう」と。今回の文章を読んで、改めて恐れ入りました。

投稿者:らべ | 2007年10月30日 15:40

書いたあとに改めて読むと、なんだか不必要な事まで書きなぐってますね、お恥ずかしい^;

教科書問題に関して言えば、いままでは沖縄戦において
「日本軍が民間人に手榴弾を配り自決を強要した」
という記述がなされていましたが、それが疑問視され始め
「強要はなかった」
ということに修正されたんでしたっけ。
「自決を強要された」という人がいれば、反対に「そんなことはなかった」という人もいる。
確たる物証がなく、どちらも証言のみになってしまうのならば、何故「両論併記」という形をとれないのか、と思います。
(当時の米軍の捕虜の扱い方を見ると、自決したほうがマシかも、という非道な行いがいくつもでてきます)

歴史は調べれば調べるほど、新事実が出てくるものですし、その全てを知り理解するなんてのは無理ですよ^;
ですので、何かを語るときに全てを知っておく必要はありませんが、語る対象への知識の補完は、その都度行わねば、と思います。
今回騒ぎ立ててた側は、おそらくこれを一切何もしなかったのではないかと。


で、「ペリーが云々」は…
明治以降の戦史を紐解けば、とりあえずそこに行き着くんですよ^;
それ以前まで含めると、もうどんどん遡ってキリがありませんが…
ただ、おまけ的に
「福沢諭吉、新渡戸稲造、伊藤博文、聖徳太子」
の4人が、何故お札の顔になってるのかがわかっていいかもしれませんね^^

投稿者:Fraeulein88 | 2007年10月30日 23:57

そうですね、、、言葉の綾とはいいませんけど、少数意見でも併記すれば説得力は高まると感じます。後出し云々、とは本人たちもいわれたくないでしょうし。米兵の動きもしかりですが、日本軍の実情というものも真相まで明らかにできていないですし、この問題を机上の空論ということはまずないでしょうが、どのあたりに正当性・妥当性の基準をおくかの判断は、困難を極めそうですね。

知識の補完、、、いい言葉ですね。もっと勉強しておけばよかったなあと思います、にはは。私は勉強苦手なので、歴史問題をテーマにするのは荷が重たかったようです。反省。

お札の肖像の方々は・・・明治(維新)を代表する顔ぶれでしょうけど、光と影の両面を持つ方々、と認識しています。日本ではいい人扱いされていても、必ずしも隣国などでは評価されていなかったかと。だから千円札や五千円札で、野口英世さんや樋口一葉さんが新札に抜擢されたのかな?とか思ったり思わなかったり。

文化人、という点では共通していそうですけどね・・・。

投稿者:らべ | 2007年10月31日 21:33

旧大日本帝国や日本軍(主に帝国陸軍ですね)を、悪鬼羅刹のごとく忌み嫌う人間や国があれば、また逆に
「かつての日本や、日本軍のおかげで植民地支配から脱却できた」
と言う人も国もあります。
残念ながら、日本の教科書で後者を記述しているものはまだ少ないのが実情ですね。
だからこそ、歴史を教える側は視点を固定することなく、双方向、多角的な物の見方を持ってもらいたい、と思います。
(正直、日教組にそのような力があるとは思えませんが)

歴史の何が面白いって、人間の本質は昔も今も変わらないってことが判ること、でしょうか。
環境が変わっても中身が変わらないのなら、歴史を学ぶことで、やがて来る変革に対してある程度予測ができ、予測できていれば対処もできる、と。
ビスマルクの言葉にもありますね^^


お札の顔については

・聖徳太子は遣隋使での親書で「日本は隋の属国ではなく一個の独立した国家である」と宣言しました

・伊藤博文は日本初の内閣総理大臣(民主政治の象徴)であり、国防の為に朝鮮の独立を促進していましたが、凶弾に斃れました(これにより併合論が高まりました)

・新渡戸稲造は国際連盟の議場において、八紘一宇の精神に基づき「人種差別撤廃、人類皆平等」を訴えました

・福沢諭吉は学問のススメの中で
「天はあらかじめ人を差別して生み出したわけではないが、実際の世の中はそうでない。世界では強国が覇権を争い、今に日本にも押し寄せてくるだろう。その時列強に呑み込まれない為に、彼らと渡り合える国作りの為にこそ学問が必要だ(意訳)」と説き、脱亜論の中で中華思想からの脱却を訴えました

…と、ちこっと調べるだけで教科書の記述どころじゃない話がでてきます。

こういう、学校ではまず教えてくれない資料を発見するのも、歴史の面白さでしょうか^^

投稿者:Fraeulein88 | 2007年10月31日 23:14

なるほどなのです・・・ってもはや下手な学習塾よりフロイさんからお話きかせてもらえる方が勉強になっちゃいますね(笑)。

ですね・・・、人間の本質がそう簡単に変わるものとは思いませんし、予測をある程度でもいいからたてられると、次への対応もやりやすくなりますし。先を見通す力を養えるという視点は想像つきませんでした。てっきり、過去の積み重ね、とばかり思っていましたし。

多角的・・・・・・これがいえる人ってそうそういないと思います。すばらしいのです。諭吉さんの精神は納得できるものありますね。というほど勉強していない私は恥さらしみたいなものですが・・・(^^;;

投稿者:らべ | 2007年11月 1日 22:12

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